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デルヴォーの夢

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  • けれどもあのスーツは、まさに私が着ていたものだった。熱い夜の中で気がつくと私はまた裸になっている。満月だ。学術会議の場に入るものだと思っていたが、ここは先ほどの町の柱廊だ。ただし誰もいなくなっている。それでよかった。というのも私の胸には乳房が生え、腹はさらに丸みを帯び、ももは丸く広がり、膝も緩やかになってしまったからだ。大きな目をした1人の女の身体の中に入ってしまったのだ。自分が両肩をくすぐるほど長い髪をしていることが感じられる。私はあの金髪の遊び女にさぞかし似ていることだろう。慣れない窪みのせいで歩きぶりもおぼつかない。マルクス・アウレリウスの騎馬像に出くわす。それが変装した細分化の専門家であることを見破れるかと思い、一瞬目配せや視線、馬の鼻孔のおののきを認めたようにも思えたが、像の腕は私がやって来た場所を指し続けている。幻覚は消え、私は男1人、あるいは1人の女として取り残される。伯父か、その補佐役でもいいから誰かまた見つけることができるならば、もう何をあげてもいい。けれども私は人に与えるものは本当に何も持っていない。それにいったい誰に与えるというのか。自分自身の身体さえ持ってはいないのに。たとえ骸骨でさえ、やって来るならば大歓迎だ。
    ミシェル・ビュトール 「囚われの女」


  • 8年振りの「ポール・デルヴォー展」も前回と同じく鹿児島〜府中〜下関〜埼玉‥‥と都内23区を避けて巡回している。デルヴォーやレメディオス・ヴァロなどシュルレアリスム絵画展を開催して来た伊勢丹美術館(東京・新宿)が2002年に閉館してしまったからだろうか。今回の「デルヴォー展 夢をめぐる旅」は初期の風景画から晩年の絶筆画までを油彩・水彩、習作・素描など全84点で回顧する。シュルレアリスム時代の代表作が少ないのは寂しいけれど、その不在を埋め合わせるかのように鉄道模型やオイル・ランプなど、デルヴォーの愛蔵していたオブジェ(絵の中に描かれたモチーフ)が展示されている。出品作品の約半数は日本初公開とのことなので、まだ肌寒い早春に北浦和公園内の埼玉県立近代美術館まで足を運んだ。開館時間が午後5時半まで(夜間開館日はない!)というのは残念至極だが、都内の美術館のように混雑していないし、館内や公園の空気も都心よりも凛と澄んでいるような気さえした。

    「姿見」と透明ケースの中の「パレットと絵筆」が入場者を出迎える。「第1章 写実主義と印象主義の影響」は1920年代の初期作品。一番最初に展示されている小さな肖像画〈窓辺の若い娘〉(1920)を除いて、〈グラン・マラドの水門(南側の眺望)〉(1921)、〈北海の景色〉(1924)などの風景画が続く。印象派にしては地味な色合いで、作者名を明かさなければ誰もデルヴォーも絵だとは思わないだろう。それだけに〈森の小径〉(1921)の緑色が目に沁みる。「第2章 表現主義の影響」では風景画から一転して女性像が描かれる。〈カエルのいる沼〉(1923)、〈森の中の裸体像〉(1927-8)、〈バラ色のブラウスの若い女性〉(1932)、2人の女性が寄り添う〈女友だち(ダンス)〉(1936)‥‥。ベッドの上で横たわり、右手で頬杖をつく全裸の〈バラ色の婦人〉(1934)は生身の女性というよりもマヌカン人形やアンドロイドのように見える。

    ポール・デルヴォー(Paul Delvaux 1897-1994)はベルギー・リエージュ州ワロン地方アンテイ生まれ(自宅はブリュッセルにあったが、母の実家で出産した)。小学校の音楽の授業に使われていた生物教室の人体標本(骸骨)に強く惹きつけられる。デルヴォー少年は当時ブリュッセルに開通した市電や週末や休日の家族旅行で乗った蒸気機関車にも熱中したという。高等学校ではギリシャ・ローマの古典文学を学び、ホメロスの「オデュッセイア」や父の蔵書の中にあったジュール・ヴェルヌの「地底旅行」(1864)を愛読。両親は父親と同じ職業(弁護士)に就くことを期待したが、デルヴォーはブリュッセル大学の法科ではなくブリュッセル王立美術アカデミーの建築科へ入学する。同国の先達ジェームズ・アンソールへの傾倒。ジョルジョ・デ・キリコの絵との出遭い。ブリュッセルで開催されていた見本市「スピッツナー博物館」(1934)の展示物‥‥ガラス・ケースの中に入った蝋人形「眠れるヴィーナス」に大きなショックを受ける。

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  • 女とは結局、性としての、肉体としての女が不可能な肉のまじわり(名状しがたい肉の融合といっても良い)を求めてさまよう、世界の有限の時間を越えた彷徨の道筋の起点であり、そこに流れる時間そのものである。画布の上に無垢の裸で置かれ、みずからの神秘的な魅力については沈黙と無関心を装っている女たち、それは物質化された世界(男性)に対して、感じられるものの永続性をつきつけているのだ。/ ジャン・クレールはこう言う。「なぜなら、この肥沃で茂みの深い女たちは、絵画がこれまでほとんど見せてくれなかった要素をそこにもたらしている。それは牧神のパニックであり、慄きであり、欲望なのだ。その絢爛たる毛髪、その鬱蒼とした毛叢によって、それら至高の女たちの肖像はパルメニデスが体毛について語ったことを思い出させる。毛という人体に残された不思議な要素、眩暈するほど遠いむかしの獣の記憶、そこにはどこにも還元することのできない、感じられるものの特異な領分がある」。これはデルヴォーのあらゆる作品に認めることのできる特徴だ。
    マルク・ロンボー 「女…女…女」


  • 「第3章 シュルレアリスムの影響」では室内や街中(古代都市?)で奇妙なパントマイム・ポーズで静止したかのような「デルヴォーの女たち」が登場する。しかし、油彩作品は〈訪問 IV〉(1944)と〈夜明け〉の2点しか出品されていないのだ。〈鏡の前のヴィーナス〉(1946)、〈レースの行列〉(1936)、〈眠れる街〉(1938)、〈ピュグマリオーン〉(1939)、〈純潔な乙女たち〉(1972)の5点は全て紙に墨・水彩・淡彩で描いた習作である。「第4章 ポール・デルヴォーの世界」は7つのテーマに分類されている。「汽車、トラム、駅」の〈トンネル〉(1978)は画面の中央奥にアーチ状のトンネルと汽車が描かれ、向かって右に駅舎らしき建物、左に遠近法を無視した階段が配置されている。前景の8人の女性たち‥‥右端の上半身裸と後ろ向きの全裸女性以外の6人は着飾ったロング・ドレス姿で、左の少女の姿はヴェラスケスの〈ラス・メニナス〉(1656)を想わせる姿見に映った鏡像である。同美術館所蔵の特別出品〈森〉(1948)にはアンリ・ルソー風の濃密な森の中の線路を走る汽車と官能的な表情・姿態の全裸の女性が左右に描かれている。

    絵の中の汽車、クロッキー帳に描かれた〈チョコレート色のトラム〉(1933)、タブローの傍らに置かれた「列車模型」などを眺めていると、幼い日のデルヴォー少年が熱中した市電や汽車の記憶が再現されていることに陶然とする。「建築的要素」には古代ギリシャ・ローマ風の神殿を背景にした女性たちが描かれる。〈エペソスの集い II〉(1973)は遠景に神殿や階段、中央を横切る市電、前景に4人の女たち‥‥深紅のベッドに横たわる全裸女性の左に乳房を露わにした赤いドレスの女と青い衣を羽織った全裸女が親密そうに寄り添い、右端に純白のロング・ドレスの女性が右手に持った手鏡を見つめている(彼女の左奥には鏡の嵌まっていない素通しの姿見がある)。〈夜の使者〉(1980)は遙か遠方に海や山、神殿や街並みが見渡され、大通りを市電が横断する。前景に位置する白いロング・レース姿の女性(使者)を左右の男女‥‥4人の女性とリーデンブロック教授が出迎える。白昼を想わせる明るい光景なのに、中央手前に置かれたオイル・ランプには火が点っている。この2作品と〈古代都市〉(1941)、〈アテネの気まぐれ娘たち〉(1968)の習作も展示されている。

    「生命の象徴としての骸骨」には小学生のデルヴォー少年を魅了したという骸骨たちが生身の女たちに代わって描かれる。緑色のカーテンの掛かった窓の前に座った女性と骸骨の2人が室内で全く同じポーズをしている〈会話〉(1944)。イエス・キリストの受難図を骸骨に置換(骸骨奪胎?)した〈キリストの埋葬〉(1951)や〈磔刑 II〉(1953)の習作も館内の壁に架かっている。「欲望の象徴としての女性」には列車が通過する線路沿いの舗道をオイル・ランプを携えて歩く9人の上半身裸の女性たちを描いた〈行列〉(1963)が目を惹く。大きな黒目の金髪女性たちは無表情で、一切の感情がない夢遊病者のように見えなくもない。右手に青い本を持って読書する乳房も露わな〈ローの婦人〉(1969)‥‥デルヴォーの絵の中に描かれた女性のモデルになったという妻タム(アンヌ=マリー・ド・マルトラール)の肖像画や素描、手紙なども出品されている。

    デルヴォーの絵の中には「男性の居場所」は殆どないが、「地底旅行」のエデゥアール・リウーの挿絵を忠実に模した〈リーデンブロック教授の習作〉(1958)がある。「ルーツとしての過去のオブジェ」にはデルヴォーの生まれたアンタイの家や台所。透写紙に墨で描かれた6種類の〈グリーティング・カード〉(1958)も透明ケースの中に陳列されていた。「フレスコ」はリエージュ大学動物学研究所のフレスコ〈創世記〉(1960)のための下絵(凸型のトリプレックス / 三層板)で、ヤギ、サイ、ウシ、シカなどの動物の素描もあった。「第5章 旅の終わり」には視力の衰えた晩年のデルヴォーが描いた最後の油彩〈カリュプソー〉(1986)なども展示されている。1989年に最愛の伴侶タム夫人を亡くしたデルヴォーは筆を折ったのだ。姿見、パレット、筆、オイル・ランプ、列車模型、碍子、手鏡、レースのブラウス、『地底旅行』‥‥「デルヴォーのアトリエから」と題された愛蔵品も館内の適所に置かれていた。

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  • 夜が終ろうとしている。彼方の森の方へゆるやかに、大道が登ってゆく。石だたみの道に突然、ひとりの女性が身を差し出す──街灯の光を浴びているのか、自身、その電光の源なのかよくわからない純白の登場。ここは夜も。都会の夜の雰囲気も。相変わらず夢の建築、輝く殿堂や駅のホールへの相次ぐ見通しの中に、寺院や石柱。空に浮かぶ月は丸いまま、それとも虹の光線を受けた雲に隠れている。まるで映画の中の光景で、その入りくんだ細部は、1つ1つ、記憶の底から取り出されてきては、夢想のすべての扉を開いてくれる。ここに見えるのは、手のとどかない精密な、愛欲の生み出した造形の光と陰影の回廊や通り路だ。夜の穹窿 理想の愛撫。彼女らは互いによく似ている。この女人たちみなに共通のゆるやかな動作。近寄って来るひとりも、遠ざかるひとりも、同じ身のこなし。波うつ布のまといがよりはっきりと示し出すルネッサンスの荘重。ヴェールがめくれ、露わにされた身の誘いかけに連なる奉納の手つきである。地べたに横たわってだるそうな姿勢もなく、ほんのかすかのすきのある脚間や、胸の丸みや、ときおり、絵の中心に黒々、ブロンドの三角をなす性の茂みが強調されてさえいなければ、彫像のような威厳があり得たに違いない。
    アントワーヌ・テラス 「空しくも、不毛にあらざる、されど大胆さに欠けた女人たち」


  • ミシェル・ビュトールの『ポール・デルヴォーの絵の中の物語』(朝日出版社 2011)はデルヴォーの〈挨拶〉(1938)から〈ジュール・ヴェルヌを称える〉(1971)まで、18点の絵画を触媒とした連作集(原題は「ヴィーナスの夢」)である。作品のタイトルを冠してクロノロジカルに並んだ全18章の語り手は1人称の「私」で、伯父の地質・鉱物学者を捜しに行くというストーリ構成になっている。「地底旅行」の主要登場人物、オットー・リーデンブロック教授の後を追う甥アクセル助手の物語‥‥「私」はデルヴォーの描く謎めいた女たち、「導きの女」(チチェローネ)に水先案内されて、古代都市と20世紀が混淆したような不思議な世界(地底世界?)を彷徨う。「地底旅行」や自己テクストからの引用が混じり合う。アクセル青年が追い求める人はリーデンブロック教授に他ならないが、デルヴォーの絵の鑑賞者やビュトールの本の読者がチチェローネに導かれて行く先には理想の女性(ヴィーナス)が待っているのかもしれない。「デルヴォーの夢」の中に行ってみたいなぁ。「託けを運ぶ女たちの行列」というポール・デルヴォーを偲んだ長編詩も併録されている。

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    ポール・デルヴォー展

    ポール・デルヴォー展

    • 画家:ポール・デルヴォー(Paul Delvaux)
    • 会場:埼玉県立近代美術館
    • 会期:2013/01/22-03/24
    • メディア:絵画・オブジェ
    • 展示テーマ:写実主義と印象主義の影響 / 表現主義の影響 / シュルレアリスムの影響 / ポール・デルヴォーの世界(汽車、トラム、駅 / 建築的要素 / 生命の象徴としての骸骨 / 欲望の象徴としての女性 / 男性の居場所 / ルーツとしての過去のオブジェ / フレスコ)/ 旅の終わり / デルヴォーのアトリエから


    ポール・デルヴォー(シュルレアリスムと画家叢書 骰子の7の目)

    ポール・デルヴォー(シュルレアリスムと画家叢書 骰子の7の目)

    • 著者:アントワーヌ・テラス(Antoine Terrasse)/ 與謝野 文子(訳)
    • 出版社:河出書房新社
    • 発売日:2006/07/12
    • メディア:大型本
    • 目次:物の秘密と雰囲気の表現 / 待望の森の広場に / 空しくも、不毛にあらざる、されど大胆さに欠けた女人たち / 立ち止まった大きな女人たち / 実用の仕草をはなれて内気なる彼女ら / 似ることよりさらに美しく / 待ちこがれての涙 / 死の領域に君臨する // 隣り合う女たち(瀧口 修造)


    ポール・デルヴォー(現代美術の巨匠)

    ポール・デルヴォー(現代美術の巨匠)

    • 著者:マルク・ロンボー(Marc Rombaut)/ 高橋 啓(訳)
    • 出版社:美術出版社
    • 発売日:1991/01/15
    • メディア:大型本
    • 目次:ポール・デルヴォー、絵画自身に捧げられた絵画 / 初めにフランドルの画家ありき / 30年代―影響の謎解き / スピッツナー・ショック /「メタフィジックな」イメージから / シュールレアリストの誘惑まで / 戦争期と不安の通過 / 受難の図と骸骨の再登場 / ビーナスから受胎告知へ / 女…女…女 / 電車、汽車、駅、そして少女 / フレスコとデッサン / 絢欄たるオペラ


    ポール・デルヴォーの絵の中の物語

    ポール・デルヴォーの絵の中の物語

    • 著者:ミシェル・ビュトール(Michel Butor)/ 内山 憲一(訳)
    • 出版社:朝日出版社
    • 発売日:2011/09/10
    • メディア:単行本
    • 目次: 挨拶 / 眠れる町 / ノクターン / ピグマリオン / 月の位相 I / 町の入口 / 町の夜明け月の位相 II / 不安な町 / 町の夜明け / 月の位相 III / 囚われの女 / 眠れるヴィーナス / 夜の汽車 / 十字架降下 / クリスマスの夜 / 学者の学校 / 見捨てられて / ジュール・ヴェルヌを称える / 託けを運ぶ女たちの行列 / ミシェル・ビュトールという銀河 / 訳者あとがき

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