村上 春樹 「それは明らかに原理に反したことだ」
円形の石室にあったのはミイラではなく、木の柄のついた古い鈴だった。翌日、鈴を手にした免色は閉ざされた石室の中で1時間を過ごす。完成した肖像画を邸宅に持ち帰る。「私」はガールフレンド(人妻)との不倫関係を続けていた。6年前、妻から離婚を言い渡された「私」は身の回りの荷物を古いプジョー205に積み込んで放浪の旅に出る。宮城県の海岸沿いの小さな町のファミレスで出合った若い女。白いスバル・フォレスターの男が入って来ると2人は店を出て、ラブホテルで一泊した。ガールフレンドとの情事中に「お前がどこで何をしていたかおれにはちゃんとわかっているぞ」という白いスバル・フォレスターの男の声を聞く。「私」は白いスバル・フォレスターの男の肖像画を描き始める。雨田政彦が家に立ち寄った夜、再び鈴が鳴り出して「騎士団長殺し」から抜け出て来たような身長60cmの騎士団長(イデア)が居間のソファの上に顕われて語り出す。石室を開けたことで、騎士団長が閉ざされた穴の中から解放されたのだ。
*
石室の中の閉じ込められた「私」は地面に落ちていた古い鈴を鳴らし、鈴の音を聞いた免色に救出される。病室の床に開いた穴に入ってから3日が経過していた。秋川まりえも火曜日の昼過ぎに家に戻って来ていた。まりえは免色の「邸宅」に潜入したまま出られなくなり、「開かずの間」のクローゼットの中やメイド用の部屋に隠れて、脱出する機会を窺っていたのだ。未完成の肖像画は秘密を共有した秋川まりえに進呈し、「騎士団長殺し」と「白いスバル・フォレスターの男」を屋根裏に隠す。まりえの叔母(秋川笙子)と免色は恋仲になっていた。雨田具彦は「私」が穴の中から救い出された週末に息を引き取っていた。「私」は妊娠した妻(柚)の許へ帰ることになる。産まれた娘は室(むろ)と名づけられた‥‥東日本大震災の2カ月後、5月の連休明けの未明に雨田具彦の家が焼け落ち、「騎士団長殺し」と「白いスバル・フォレスターの男」も焼失してしまう。創作を止めて元の肖像画家に戻った「私」と妻と「娘」の新生活が始まる。
*
ふかえりと秋川まりえ、リトル・ピープルと騎士団長。少女たちの失踪と怪しい小人たちの出現‥‥『1Q84』(新潮社 2009)と『騎士団長殺し』(2018)には幾つかの共通点がある。騎士団長が閉じ込められていた石室は『ねじまき鳥クロニクル』(1994-95)の井戸を想わせるし、双眼鏡で秋川まりえの家の中を覗いている免色渉はアパートメントの自室を双眼鏡で覗き見た『スプートニクの恋人』(講談社 1999)のミュウを髣髴させる。男女の違いはあるけれど、2人共に白髪なのだ(ミュウは観覧車に一晩閉じ込められた恐怖で白髪になった)。日本画「騎士団長殺し」、『春雨物語』の「二世の縁」、白いスバル・フォレスターの男、騎士団長、顔なが‥‥ミステリアスな謎が渦巻く「第1部」は面白く読めるが、まりえが行方不明になってしまう「第2部」は肩透かしを食らう。犠牲と試練‥‥騎士団長を刺殺して地底世界に降りて行った「私」が必死の思いで生還したのに、まりえは免色の邸宅内に潜んでいただけだったという呆気ない顛末。「私」が犠牲を捧げて試練を潜り抜けなければ、クローゼットの中に隠れていた少女は「邪悪なる父」に殺されていたのだろうか?
*
『1Q84』のリトル・ピープルと同じように、作者自身にも騎士団長(イデア)の正体は分からないという。プラトンの「イデア論」も読んでないし、騎士団長とは関係ないと明かす。驚いたインタヴュアーが食い下がると、無意識から生まれたものは無理に説明しない方が良いと話す。「私」が潜り抜けた狭い穴は「出産のメタファー」とか「白いスバル・フォレスターの男」は「私」のオルター・エゴとかいう浅薄な批評を拒否しているようにも思える。古代社会の巫女や呪い師が霊的なメッセージを受け取ったように、避雷針が雷を受けるような能力が小説家には必要だと語る。「頭の良すぎる人が書いた小説は枠組みが透けて見えることが多い」ので余り面白くない‥‥。一人称小説で主人公の名前が最後まで明かされないのは珍しいことではないが、「私」が自分の肖像画を描こうと一切思わないのは不思議である。「顔のないの男」の肖像画が描けないのは、「名前のない私」の顔になってしまうからではないでしょうか。
*
- 図書館から借りて読みました。A区やT区の図書館は書架に並んでいるけれど、K区やI区は予約者が200人近くもいる。この地域格差は所蔵数なのか、人口数なのか?
- 免色渉が白髪化したのは東京拘置所の独房に435日間収監されていた時でしょうか?
- 創作に目覚めた「私」が妻との離婚の危機を回避して元の鞘に納まって、職業画家に戻ってしまうのも腑に落ちない。しかも誰の子なのか分からない娘のいる家庭に‥‥
spooky lover / little poeple 1 / 2 / commendatore will die twice / sknynx / 796
- 著者:村上 春樹
- 出版社:新潮社
- 発売日:2017/02/24
- メディア:単行本
- 目次:プロローグ / もし表面が曇っているようであれば / みんな月に行ってしまうかもしれない / ただの物理的な反射に過ぎない / 遠くから見ればおおかたのものごとは美しく見える / 息もこときれ、手足も冷たい / 今のところは顔のない依頼人です / 良くも悪くも覚えやすい名前 / かたちを変えた祝福 / お互いのかけらを交換し合う / 僕らは高く繁った緑の草...
- 著者:村上 春樹
- 出版社:新潮社
- 発売日:2017/02/24
- メディア:単行本
- 目次:目に見えないものと同じくらい、目に見えるものが好きだ / そういえば最近、空気圧を測ったことがなかった / あの場所はそのままにしておく方がよかった / 試合のルールについてぜんぜん語り合わないこと / どんなものごとにも明るい側面がある / あれではとてもイルカにはなれない / 特定の目的を持って作られた、偽装された容れ物 / その顔に見違え...
- 著者:村上 春樹 / 川上 未映子
- 出版社:新潮社
- 発売日:2017/04/27
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
- 目次:はじめに 川上未映子 / 優れたパーカッショニストは、一番大事な音を叩かない / 地下二階で起きていること / 眠れない夜は、太った郵便配達人と同じくらい珍しい / たとえ紙がなくなっても、人は語り継ぐ / インタヴューを終えて 村上春樹
- 特集:古典復活
- 出版社:スイッチ・パブリッシング
- 発売日:2015/10/15
- メディア:雑誌
- 目次:対談 村上春樹 + 柴田元幸「帰れ、あの翻訳」/ 復刊してほしい翻訳小説100(村上春樹、柴田元幸選)/ ジャック・ロンドン「病者クーラウ」/ カーソン・マッカラーズ「無題」/ トマス・ハーディ「萎えた腕」/ きたむらさとし「外套」/ 猿からの質問「古典五種競技」/『職業としての小説家』刊行記念村上春樹インタビュー「優れたパーカッショニストは、一番大事な音を叩かない」/ スティーヴ・エリクソン 村上春樹『風/...
- 著者:大森 望 / 豊崎 由美
- 出版社:河出書房新社
- 発売日:2017/04/17
- メディア:新書
- 目次:はじめに 大森望 /『騎士団長殺し』メッタ斬り!/『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』メッタ斬り!/『1Q84』BOOK1・2 メッタ斬り!/『1Q84』BOOK3『女のいない男たち』メッタ斬り!/ おわりに 豊崎由美